
村田画廊を開廊して、間もなく藤原敏行先生とお付き合いが始まりました。
先生は日展などの団体には属さず画壇とは少し距離をおき、日本画制作の傍ら嵯峨面の制作もされていました。
ご自宅は喧騒からはなれた閑静な嵯峨二尊院の近くにあり、当時は今よりもっと自然に恵まれた落ち着いた環境でした。
お伺いしたときは庭に面した広縁に置かれた椅子に腰かけて、制作にかかわる真面目なお話や四方山話などに花をさかせました。何事にも造詣が深く、分かり易く話され時には面白いこともおっしゃる風流人でした。
作品は花鳥風月を得意とし何度も重ねられた色彩は柔らかく、落ち着いた空間はお人柄が表れています。よく散歩に出掛けられ小鳥や道端の花を観察し時節の移り変わりを肌で感じることが作品の構想やヒントになったのかもしれません。
今回はアトリエに残された数多くの写生から抜粋し展示いたします。 村田画廊 村田一雄
写生展によせて
父が亡くなり一年四ヶ月が経とうとしています。いまだにアトリエはほとんどそのままの状態です。なかなか片付けが進みません。
亡くなる二ヶ月前くらいに面を乾かしながら父と珍しく長話をしました。年内に仕上げたい作品や何年も先の干支面の構想、庭木の剪定など、とても貴重な時間でした。
その会話の中で、「もう一回写生展したいなあ」という父の言葉を受けすぐに村田画廊さんに電話をしたら快諾をして頂きました。
父はとにかくよく写生をしていました。季節ごとの花の写生、風景、果物や身近なものなど多岐にわたります。整理していますと本当にたくさんの写生がありました。
入院中も体調の良い時には小さなスケッチブックに、果物や貝殻、窓から見える景色を時間の移ろいを感じなら描いていました。時にはベッド周りの様子も。
退院後は大作の本画を手直ししたりして過ごしていましたが寝たきりになってからは
辛い日々が多くなり絵が描けないことにもどかしさを感じておりました。
亡くなる10日ほど前、窓から見えるダリアを見て「スケッチしようかなぁ」と言ったのですぐに画用紙と鉛筆を渡しました。写生をし始めるとそれまで苦しそうだった表情が一変し、鋭い目つきに変わりました。その時の姿は一生忘れることのできない光景で、
画家として生きていくための多くのことを教えられた気がします。
私が、絵を描き始めた頃から口うるさく「何でもいいから写生しなあかんぞ、今描く為の写生だけでなく何年も先を見据えて写生しとかなあかん」と教えられてきました。
父の写生を整理しているとそのことがよく分かります。
今回父がどのような写生展をしたかったのか今となっては知ることはできませんが、
若い頃から晩年までの写生の中から数十点選びました。
空の上から「何でそんなんだすんや」と言ってるかもしれません。
約50年、作家として歩んできた画業の一部をご高覧賜りましたら幸いです。
藤原 裕之













